ジュエリー熱の芽生え
物心ついた時から、キラキラしたものやジュエリー・アクセサリーの類は大好きだった。
ジュエリーに関する原体験として記憶しているのは、毎年お盆に帰省した時、母方祖母(服道楽で綺麗なものが大好きだった)のジュエリーボックスを開けては眼福に浸り、あわよくば手に入らないかと画策していたこと。
残念ながらその後、そのジュエリーボックスは、訳あって中身ごと全てなくなってしまったのだけれど、中央が引き出し式で、両側にメリーゴーランドのようにくるくる回るネックレス掛け金具がついたボックスの形と、その中に(子供時代の自分にとっては)とても立派で大きなアメジストの指輪が入っていたのが一際気に入って、毎度毎度眺めていたことは、今でもよく覚えている。
それだけジュエリーには興味があったのに、古着に目覚めてしばらくしてからは、その熱がジュエリーに向かうことはなかった。
折しも巷はLAカジュアルが大ブームで、ジュエリーというよりも大ぶりなフェイクのアクセサリーをつける方が流行っていたからかもしれない。
もう手元にはないが、当時大好きだったトコパシフィックというショップで、ステラマッカートニーのプラスチックのキーリングを買ったり、LAカジュアルの代名詞でもあるジューシークチュールのチャームブレスレットに心ときめかせたりしていた。(余談ではあるが、ジューシークチュールのチャームは立体的で本当に完成度が高く、開けるとちょっとしたギミックも入っていたりしてものすごく素敵!今でも安いと観賞用にちまちま買ってしまう…)
そんな自分が、「アクセサリー」から「ジュエリー」に目を開かされたきっかけも、自分にとっては印象深く、今でも覚えている。
たまたまふらっと入った、吉祥寺の駅からほど近い、地下にあった薄暗い古着屋。
入るとふわりとお香のような独特の香りが漂う、いかにも「古着の街の古着屋」然とした店内だったと思う。
ひととおり見て周り、ふと壁際にあったアクセサリーコーナーに目をやると、ゴールドのネックレスがあった。
知識のない自分でもわかる「AHKAH」「K18」の刻印に驚き、「3480円」という値札に目玉が飛び出そうになり、反射的に購入を決意。(でも当時、貧乏学生で手持ちがなかったので、店員さんには取置きをお願いして近所のコンビニに走ってお金を下ろした。3000円も持ってないんかい!という店員さんのやや冷たい目も覚えている…)
今のジュエリーよりもボリュームのあるしっかりとした角アズキチェーンに、ハートのキーモチーフがついたイエローゴールドのネックレスは、今よりもだいぶカジュアルだった当時の服にも負けず、インパクトがあって、しばらくの間(と言いつつ数年単位だったと思う)、本当にどこに行くにも身につけていた。
10年以上が経って、当時のものはほとんど処分してしまったけれど、このネックレスだけは思い出も込みで今でも大切にジュエリーボックスにしまってある。
このネックレスとの出会いで、
・小さいけれどもちゃんと存在感を放ってくれること、
・洋服よりも流行り廃りに影響されにくく、ある程度の長期スパンで愛用できること、
そして
・最終的に処分しなくてはならなくなっても、決して、ゴミにならないこと
というジュエリーの魅力を実感できたと思う。
そこから今まで、ジュエリーをほんの少しずつ集めて眺めるのが、長い長い、自分のライフワークになっている。