MY 「ONE HUNDRED」を探して。

数十年スパンで大事にしたい、自分にとってのファッションスタイル基本アイテムの覚え書き。時々雑記。

時計熱の芽生え

古着とジュエリーに関しては、明確に、

「このアイテムがターニングポイントだった」

といえるものを覚えているのに対し、

時計に関しては、そういう形の記憶はない。

代わりにあるのは、身近な人とその時計への、強い憧れだ。

 

1人は、大学時代の友人。

芸術にも造形が深く、当然ながら洋服も持ち物もとても素敵だった彼女が、ある日、ご家族、確かおじいさまから譲り受けたという、ボーイズサイズのスクエア型の時計をしていた。

白くすらりと華奢な彼女の手首に、マニッシュさを強く感じるダークブラウンのレザーベルトの時計が収まっている姿が、なんとも言えず眩しく、格好良く見えた。

そして、後の彼女との話の中でそれは間違いだとわかるのだけれど、私の中では、その時計はカルティエのマストタンクだった、との記憶なのだ。

正直、それに気づいてからも、自分の中ではいつまでも、その時の彼女の時計は、マストタンクだ。

 

もう1人は、高校時代の友人。

黒がよく似合う、おしゃれで大人びて、ちょっとミステリアスな雰囲気を漂わせている彼女は、詰めが甘く幼稚で失敗ばかりしていた(今もだが)自分にないものばかり持っていて、これもまた焦がれるような強い憧れの存在だった。

そんな彼女の家に泊まりに行った時、ひょんなことから時計の話になり、お父様から譲られた、と、ロレックスの腕時計を見せてもらった。

これは正誤を確かめる機会がまだないのだが、私の記憶では、端正なシルバーカラーの文字盤にダイヤが12ポイントついた、ホワイトゴールドとステンレスのコンビのデイトジャストだったと思う。

そして、その時計は、当時まだ学生だった彼女にも、スッと寄り添ってくれているように見えた。

それはきっと、彼女の持つ雰囲気がその時計にふさわしかったというのもあるだろうけれど、なにより、彼女のご家族と共に過ごし、その思いがこもった時計だったからなのだろうと思う。

 

それまであまり時計に興味がなく、ファッションウォッチをつけていた私にとって、この2人とその時計の記憶は、衝撃的だった。

時計というのが、あんなに身体に占める面積は小さいのに、時には服よりも、バッグよりも、はるかに雄弁に、その人自身の生き方とか、なんならファミリーヒストリーまで物語るアイテムなのだ、ということを実感したのだ。

 

そして単純な私には、自分も、家族からあんな時計を譲られてみたい、という気持ちがむくむくと芽生えた。

しかし残念なことに、私の母は、全く服の趣味も体型も私とは正反対だった。そして、案の定、時計も手首が重いだの理解しかねる理由で、ほとんど身につけることはなく、当然持ってもいなかった。

その後、祖父が祖母に送ったロンジンの時計をしばらく身に付けたりしていたけれど、何となく自分にはしっくりこず、大事にしまってはいるものの身につけはしない、という状態になってしまった。

そうして、他人から時計のバトンを受け継ぐことに頓挫した私は、

「いつか子供ができて、大きくなったら譲れるような、時を越えて普遍的に受け継げる美しさをもった時計が欲しい」

と、自ら渡すバトンになってくれるような時計を探し始めた。

 

…と、今までは何となく、そう思っていた。

でも、正確にいうと違うかもしれないな、とこれを書きながら思い直した。

というのも、私の手に入れた時計、好きになってきた時計は、もちろん多種あるものの、ン十年の間、その中心はずっと変わらず、ものの見事にカルティエとロレックスばっかりだ、と気づいたのだ。

そうすると、もしかしたら私は、恥ずかしながら、ずっと昔に憧れた友人たちの影を、今でもずっと追いかけているだけなのかもしれない。

でも、たとえそうだったとしても、今、紆余曲折を経て選び選ばれ手元にやって来てくれた時計たちは、彼女たちのものと同じじゃない。

もっと言えば、自分の過ごした時間自体も、当たり前だけど、彼女たちと一緒ではない。

きっかけは他人のコピーだったとしても、自分らしさに少し胸を張って、一緒に時を刻んでいけたらいいのかな。

…寒い中、パソコンに向かいながら、柄にもなく、そんなことを思った。

意外に、自分の嗜好を突き詰めていくと、いろんなことが見えてくると実感…