「P」:「ピアスのようなイヤリング」
10代の頃、周りが続々とピアスホールを開けていた時期に、自分も波に乗って開けようかなぁと迷っていた時期からン 十年…
結局タイミングを逃し、未だにピアス未デビュー。これからも大きなきっかけがなければきっと一生デビューすることはないだろうと思われる状態。
そのため、耳元アクセは必然的にイヤリング。
最近は可愛いものもたくさんあるけれど、ネジバネ式やクリップ式のものはどうしても耳が圧迫されるのが悩み。
痛いから…と結局外してしまい、机の引き出しやら身近なものに放り込んでそのまま忘れてしまうことも多々。
なんとか、家に帰るまでずっと外さずにいられるストレスフリーなイヤリングを見つけたいとずっと思っていた。
そして欲を言えば、形も、イヤリング派がなかなか手を出せず憧れるフープタイプ。
華奢で大きなフープタイプはなかなかイヤリングには作りがないし難しいだろうけれど、小さなフープタイプ、リングタイプのデザインにはいつか出会えたらいいな、などと思っていた。
そういったものだと、もし気に入ったチャームがあった時、それを通してアレンジもできるかもなぁと。
そうなると視野に入ってくるのは、ピアスに見えるイヤリングの王道であるピアリング社のデザイン。
いろいろなショップ、あるいは通販だとディノスやQVC、ジュエリー専門テレビチャンネルのGSTVなどで多数扱いがある。
何度か気になったもあったけれど、華奢めなものに多い、少し丸みを帯びたデザインが少し似合わないように感じられたり、ダイヤのつき方がやや主張があるものはチャームが合わせにくく普段使いしにくいかなと思ったりで、結局購入にまでは至らず。
そんな時に見つけたのがこちら。
I'm OKというセレクトショップ的ブランドの、「ピアスに見えるイヤリング」。
ちょっとシャープな、直線多めのデザイン。
14金のイエローゴールドの柔らかい輝き。
そして何より、ほんの少しだけグラデーションにセッティングされた、しかも全部小さいのにちゃんとファイアが出るダイヤモンドがつくりだす、繊細だけど存在感のある輝き。
見た瞬間、大袈裟でなく
「自分の求めていたものはこれだ!」
と、ちょっと体に電流が走った。
もちろん即購入。
その後数ヶ月、これも大袈裟でなく、
寝る時以外は毎日つけている。
(訳あって少し寝ている時間が長い時期もあり、そのときは下手すると寝ているときすらつけていた。)
これだけずっとつけていても、本当に軽く、痛くならない。
そんなに存在感がないのに。
わずか1cm程度の大きさなのに。
鏡を見ると、ちゃんと、ダイヤモンドが、ヨレヨレの顔にも、華を足してくれている(と自分では思える)。
シチュエーションも選ばず使えて、きっとこれからも、大事な耳元の相棒になってくれそうな気がする。
このI'mOKというブランド、ageteやロンハーマンなどと同じA&Sの系列のよう。
代官山と二子玉川にしか店舗がないため、まだそこまですごくメジャーではないけれど、セレクトのジュエリーもとても魅力的。
オリジナルのジュエリーも、小さいけれどダイヤの輝きがどれも強くてしっかりしている感じ。
オリジナルのショップバッグのチャームも、ちゃんと立体でとても可愛い…
自分の中で、是非、もっと認知度が上がってほしいなぁというブランドになっている。
「C」:Chopard Happy Diamond Ring & Watch
「似合う」と「好き」の関係だったり、
(両者の間にズレがある場合)
その折り合いをつけることだったり、
というのは、本当に難しいと感じる。
突き詰めればファッションの根源的テーマであろう「主観」と「客観」の一致、というものの言い換え的な感じで、このテーマは自分の前に時々現れる。
なにぶん、制御をしない自分の純粋な「好き」の幅が広すぎて、それを全部拾っていたらとんでもないことになっていってしまうのだ。
そのため、「好き」で部屋が溢れかえり出した頃を見計らって、厳しく自分を振り返り、「似合う」にあたらないものは感謝を込めて別の場所に送り出す儀式を定期的に行わなければならなくなる。
そして、「好き」が本当に自分の「似合う」を作り出してくれているのか、というのも、日々考えてしまうのだ。
「似合う」を客観視するものとして広く受け入れられているツールのひとつに、骨格診断やパーソナルカラーといったものがある。
私は数年前、かなり本格的な骨格・パーソナルカラー診断を数時間にわたって受ける機会をいただいた。
人生でこんなまじまじ鏡を見たことはないんじゃないかというぐらい自分の顔やら身体やらに向き合い、コスメや洋服だけでなくジュエリーやメガネやヘアスタイルや靴に至るまで、何が似合うのか、本当に丁寧にアドバイスをしていただいた。
(ちなみにそこでは、骨格診断も、頭から足まで全て採寸し、その比率で割り出すという緻密っぷりだった。「セルフ診断」できるほど自分の感覚に自信のなかった私にとって、具体的な数字を使って行う診断はとても信頼できると感じられたのを覚えている。)
私はイエローベース、骨格はほぼほぼストレート(頭と腰だけがウェーブらしいので、9割ストレート、という感じらしい。)。
当然、手首や指もむちむちとして真円に近い、もろにストレートの特徴が出ているので、ジュエリーや時計のフェイスは四角くシャープな方がいい、とのアドバイスをいただいた。特にリングに関しては、「迷ったらエッジの立ったものを優先してください」と何度も言われた。
要するに、角がしっかり90度ついているようなシャープなものでないと、むち指が際立って不恰好、ということだ。
確かにそういう視点で見てみると、長く使っている指輪は、みんなそういう特徴を持っていた。
なるほど、と納得し、それ以来、買い足す指輪や時計は、基本的に四角い、シャープさのあるものにしていた。
ところが。
6年ほど前だったか、
そんな「似合う」のド正反対をいくアイテムに、一目惚れしてしまった。
ショパールのハッピーダイヤモンドのリング。
ホワイトゴールド(イエベ的にはこれもイエローゴールドよりは似合わないとされるだろう)のアームに、イエローゴールドで縁取りのされたコンビのムービングダイヤの台座。
そして、中にセットされたくるくる回る楽しげなダイヤと、台座にパヴェセッティングされたダイヤは、どちらもピンクダイヤだった。
当時からピンクダイヤの生産地であるアーガイル鉱山は閉山の噂が絶えない状況。
ピンクダイヤへの憧れが、まさかショパールのリングという形で叶うとは。
当時の自分にとっては物凄い高額(1ヶ月の給料の半分ぐらい)。
でも迷う余地なく即決した。←少しは迷えよ
そのことを知った家族からはドン引きされ、いくら社会人だからとはいえそんな高額のものをパッと買うとは…云々と、お金の使い方についてものすごいとくとくと説かれたが(結局聞き流してて覚えてない)
でもこれに関しては、あのとき買っておいてよかった、といえる。
数年間、ほぼ毎日つけていた。
辛いことも嫌なことも、一緒に乗り越えてきたお守り的存在。
指のサイズが変わりやすくなり、毎日はつけられなくなったものの、今でも、ジュエリーボックスから取り出して、センターの、少し桜色のムービングダイヤを眺めていると、心が癒されるのを感じられる。
さてこのアイテム。
客観的に「似合う」とは程遠い。
実際、つけていると、自分の指のボンレスハム感が際立つな〜と思ったりもする。
ただ、だからもう手放そう、とは、びっくりするほど、思わなかった。思えなかった。
似合わない、以上に、幸せで。
一緒にいると嬉しくて。
そんな気持ちでいたら、いつの間にか、
「そのリングはあなたのトレードマークみたいなものだから」
と複数の人に言われるようになった。
もちろん、それをどう捉えるかは人それぞれ。
「似合う」に沿っていない、ある意味浮いているアイテムだから目立ったのかもしれない。
でも、
本当に本当に大好きなアイテムだったら、
もしかしたら、その思いが通じて、
少しは自分に馴染んでくるのかもしれない。
このリングは、
「主観」が「客観」を変えていく、
そんなこともあるのかもな、と思えた、
思い出深い存在。
…などと思っていた2年前。
近所の行きつけのお店で、なんと同シリーズの時計を発見。
こちらは流石にピンクダイヤモンドではないけれど、中のムービングダイヤのパーツがハートモチーフで、リングとリンクするというかわいい仕様。
ピンクのシェルも上質で、さらに指輪よりダイヤの動く面積が大きく、光がこぼれているのがよりダイレクトにわかる。
これまた見ているだけで嬉しくなる存在。
どう見ても自分に元々似合うタイプのものではないだろうけど、これだけはなんとなくしっくりきてしまう不思議。
もはや自分の中の客観性がポンコツになっているのかもしれないけど…
ちなみにこちらのアイテムは、全品対象という超太っ腹なセール開催期間にたまたま見つけてしまったせいで、これまた数十分の取り置きをお願いしてその足でATMにて現金を下ろし、即購入。お金ないのに。
家族には「数年前、数十年前と何一つ変わっていない…」とチベットスナギツネのような目をされましたとさ。
「M」:Must Tank Vintage Watch
ここン十年の自分のクローゼットを思い返してみると、ジュエリーは増えていく一方だったのに対し、服は減っていく一方だったことに気づく。
そして時計は、一度とても増えた時期を経て、かなり断捨離され、今は厳選されたメンバーだけが残っている感じ。
それは、憧れや好みだけで手を出していたら、維持に限界がきて、自分が大事にできる時計の数は限られている、とわかったからだと思う。
なんてったって、機械式の時計は、
ものすごく、
お金がかかるから。
最初の頃はそんなこと全く気付かず、クォーツの時計を買うのと同じ程度の軽い気持ちで、機械式時計の予算も組んでいた。
買った後にかかるのは、数年に一度の電池交換代と、悪くしてもちょっと壊れた時の修理費用ぐらいだろう、という程度の認識。
ただ、一回手を出すといろいろと蘊蓄を調べずにはいられないタイプのため、それでいいのかとネット情報を漁っていたところ、出るわ出るわ、お金のかかる話ばかり。
オーバーホール?
ゼンマイ切れ?
摩耗による部品の交換?
聞いたことのないワードたちに頭は混乱の一方。
そして、とりあえずそれならオーバーホールをしてくれそうなところに持ち込んでみよう…とアンティーク時計専門の工房の門を叩いてみたところ、あれよあれよという間に修理費用で時計購入金額の半分程度が吹っ飛んでしまった。
さらにこれが一度ではなく、数年に一度は必要になるという。
欲しいものに目がくらむと計算能力がさらにポンコツ化する自分でも、さすがに、
あ、これは金のかかる趣味だな、
と気づいてしまったのだ。
そんなこんなを経て、機械式の時計欲しい欲が湧いてきた時は、
「今後数十年を経ても、最大何十万のオーバーホール代をかけても、ずっと手元で愛でていたいといえるかどうか」
と呪文のように唱え、自分なりにかなり吟味するようになった。
この言葉のおかげで、もうあと一歩でお店の人に買います宣言する(あるいは購入ボタンをポチる)ところで諦めた時計たちもたくさんいるので、自分にとってはかなり強力なストッパーになったと思っている。(別に胸を張れることじゃないけど…)
前置きが長くなったけれど、
そんな遍歴を経て、今もこれからも手元で大切にする、なんなら(できれば)孫子の代にだって継いでいけたらいい…などと思える時計が
カルティエのマストタンク。
手巻き。
社会人になって初めてのボーナスで手にした、憧れのヴィンテージウォッチ。
言わずと知れた、1970年代後半発表の「廉価版タンク」。
王侯貴族のためのジュエラーだったカルティエ が一般層をターゲットに発売した時計。
素材も18金ではなく金張り(ヴェルメイユ)だし、ブレスも基本金属ではなくレザー。
その意味で、本来は、カルティエの王道のジュエリーウォッチのように、受け継ぐ、というレベルのハイクラスなものではないのだろうと思う。
でも、そんなことどうでも良いと思わせる、この文句なしの美しさ。
そして、懐の広さ。
20代、30代の腕にもしっくりハマり、50代、60代になってもそれが衰えることはない(使うシーンはビジネスライクからカジュアルへと変わっていくかもしれないけど、決して、安っぽくてもう似合わない…とはならない)。
そして最後に、(できるかわからないけど)若い孫が、ヴェルメイユの部分が変色しちゃったりして、味の出たこの時計を身につけていたら、それはそれは、格好いいだろうと思う。
大学の時の記憶にある彼女のように。
特にこのローマンインデックスのベーシックな文字盤には永遠のシックさがあるから、余計そう感じられるのかもしれない。
そしてもう一つ、この時計を大事にする理由。
それが、
国際永久保証書。
ここでようやく最初の話と繋がるが(長いな)、このマストタンク、機械式時計の宿命であるオーバーホール代が、(今のところは)永久に無料となる特典がついている。
この保証と、カルティエのサービス精神の素晴らしさについてはまた別記事で書こうと思っているけれど、とにかくカルティエに脱帽させられる特典だ。
このギャランティのおかげで、自分で大事にし、何十年と使い、なんなら受け継ぐ、ということも、決して夢物語ではないと思えるのだ。
とあるエディターの方が、著書で、
社会人になって最初に買って、15年間愛用しつづけている時計
としてマストタンクを紹介していたが、それもうなずける。
長年を共にしていくアイテムとして、若いうちに手にして、きっと損はしないと思う。
「A」:Alhambra Necklace
前回までの3つの記事で、大体、自分の好きなものたちのルーツについて振り返っていけたかなと思う。
そこでこれからは、そんな自分にとって、きっとこれからもなくてはならないだろうアイテムたちを取り上げて、愛でていこうと思う。
このブログを書くにあたって影響されている「ワンハンドレッド」という本自体がアイテムをA〜Zでまとめていることに倣って、アイテムの頭文字をA〜Zで綺麗にまとめて…などと考えていたけど、なにぶん書きたいことがとっ散らかっているので、そんな風にできるかわからず…
でもとりあえず、ファーストアイテムは、「A」からはじまる、そして思い入れのあるアイテムにしてみたいと思う。
といって挙げてみたこちら。
ベタもベタ。
何度眺めても、この上なくベーシックな形なのに、びっくりするほど整っている。
そして、中のストーンは様々あり、そのカラーで印象はだいぶ変わるけれど、どれを選んでも、その小ささからは考えられないぐらい、鮮烈な存在感があると思う。
形としては類似のものがたくさんあるけれど、やっぱり本家のものとはほんの少し違う(ように見える…ブランドパワーでそう見えるだけ?でもやっぱり違う…)。
ストーンの輝き方も。
周りを取り囲むゴールドの枠のほんのちょっとした厚みがつくる重厚感も。
ともすると脇役としてないがしろにされがちなチェーンの、埋没しすぎず主張しすぎない絶妙な太さや輝きも。
なにより枠囲みの細かいミル打ちの装飾の繊細な感じも。
このブランド、そしてこのアイテムを知ったのがいつだったかというのは、あんまり記憶にない。
例の「ワンハンドレッド」にも、「アップタウン・ガールのステートメントネックレス」として、ヴァンクリの名前は出ているのだけれど、それがきっかけで興味を持ち出した、という記憶はない。
ただ、学生時代は付録が花盛りだったのもあり、とにかく色んなファッション誌に手を出しては読み漁っていたので、きっとどこかで目にしてはいたのだろう(余談だが、当時は景表法などの問題もさほど取り上げられていなかったからか、今よりファッション誌は遥かに安く、その割に付録がかなり本格的だった。今のムック本などを眺めるとついあの時を懐かしく思い出してしまう…)。
少なくとも就職したての頃、どうしても欲しくなって、1度頑張って買ってみたことがある。
マザーオブパールの、一番小さいスウィートアルハンブラのパピヨンモチーフのブレスレットだった。
ただ、残念ながら、これはいざつけてみると、どうもしっくり来なかった。
可愛いサイズの蝶々は、ゴン太の私の腕で引っ張られ、窒息死しそうにも見える哀れな姿になってしまったのだ。
欲しいという気持ちが先走り、試着なども十分にせず、良く吟味しないで購入したからだっただろう。自分でも詰めが甘かったと思う。
それが、6年前、本当にひょんなことから、またアルハンブラとのご縁ができた。
マザーオブパールとは違うクールな感じもあるオニキスはずっと気になっていたのでもちろん嬉しさもあった。
ただ、以前の失敗が尾を引き、当時はあまり「アルハンブラが欲しい!」と望んでいた時期ではなかった。
だから正直、手に入ったときは、市価よりも大分お値打ちだったこともあり「不要になったとしてもリセールに出せばいいかな…」などというよこしまな気持ちがあったことは否めない。
その程度の熱量だったのだ。
それが、身につけてみた瞬間、気持ちが一変した。
ヴィンテージアルハンブラならではのしっかりとした存在感と、オニキスが放つ、鏡のような凜とした黒い輝き。
大きさとストーンで、これほどまでに印象が変わるのかと驚いた。
両吊りのデザインのため、首の動きでトップが回ってしまって格好悪い、というストレスも感じにくい。
そして使い始めてみると、これまた振り幅がものすごく広い。
スーツやセットアップなどのコンサバな格好にはもちろんフィットする(実際、雑誌などではこういう使い方がされることも多い気がする)し、ニットなどのきれいめカジュアルなスタイルでも意外にハマる。流石にデニムレベルまで崩した時にはもう少し抜け感あるジュエリーの方がハマりそうだけど。
一時期は本当に毎日のように身につけていた。
今はやや洋服がカジュアルなため、頻度は減っているものの、絶対にまた、今日はこのネックレスじゃなきゃ、と手に取る日が来ると確信している。
そして、一連の出来事から、同じシリーズのアイテムでも、大きさとストーン、モチーフで全く別物なのだと実感させられた(試着はちゃんとせねば…反省)。
ちなみに、このオニキスのヴィンテージアルハンブラは、社会人になってから、仕事の場で出会う女性が身につけているのを目にする機会が最も多いネックレスでもある。
アナウンサーや大学教授など、職種もバックグラウンドも様々な方々の首元に収まっていたが、どれもとてもその雰囲気に合っていて素敵だった。
今はまだ遠く及ばないけれど、いつか、大人の女性の気品と貫禄を持って、このアイテムを付けこなせることを目標に、これからも大事にしていこうと思っている。
時計熱の芽生え
古着とジュエリーに関しては、明確に、
「このアイテムがターニングポイントだった」
といえるものを覚えているのに対し、
時計に関しては、そういう形の記憶はない。
代わりにあるのは、身近な人とその時計への、強い憧れだ。
1人は、大学時代の友人。
芸術にも造形が深く、当然ながら洋服も持ち物もとても素敵だった彼女が、ある日、ご家族、確かおじいさまから譲り受けたという、ボーイズサイズのスクエア型の時計をしていた。
白くすらりと華奢な彼女の手首に、マニッシュさを強く感じるダークブラウンのレザーベルトの時計が収まっている姿が、なんとも言えず眩しく、格好良く見えた。
そして、後の彼女との話の中でそれは間違いだとわかるのだけれど、私の中では、その時計はカルティエのマストタンクだった、との記憶なのだ。
正直、それに気づいてからも、自分の中ではいつまでも、その時の彼女の時計は、マストタンクだ。
もう1人は、高校時代の友人。
黒がよく似合う、おしゃれで大人びて、ちょっとミステリアスな雰囲気を漂わせている彼女は、詰めが甘く幼稚で失敗ばかりしていた(今もだが)自分にないものばかり持っていて、これもまた焦がれるような強い憧れの存在だった。
そんな彼女の家に泊まりに行った時、ひょんなことから時計の話になり、お父様から譲られた、と、ロレックスの腕時計を見せてもらった。
これは正誤を確かめる機会がまだないのだが、私の記憶では、端正なシルバーカラーの文字盤にダイヤが12ポイントついた、ホワイトゴールドとステンレスのコンビのデイトジャストだったと思う。
そして、その時計は、当時まだ学生だった彼女にも、スッと寄り添ってくれているように見えた。
それはきっと、彼女の持つ雰囲気がその時計にふさわしかったというのもあるだろうけれど、なにより、彼女のご家族と共に過ごし、その思いがこもった時計だったからなのだろうと思う。
それまであまり時計に興味がなく、ファッションウォッチをつけていた私にとって、この2人とその時計の記憶は、衝撃的だった。
時計というのが、あんなに身体に占める面積は小さいのに、時には服よりも、バッグよりも、はるかに雄弁に、その人自身の生き方とか、なんならファミリーヒストリーまで物語るアイテムなのだ、ということを実感したのだ。
そして単純な私には、自分も、家族からあんな時計を譲られてみたい、という気持ちがむくむくと芽生えた。
しかし残念なことに、私の母は、全く服の趣味も体型も私とは正反対だった。そして、案の定、時計も手首が重いだの理解しかねる理由で、ほとんど身につけることはなく、当然持ってもいなかった。
その後、祖父が祖母に送ったロンジンの時計をしばらく身に付けたりしていたけれど、何となく自分にはしっくりこず、大事にしまってはいるものの身につけはしない、という状態になってしまった。
そうして、他人から時計のバトンを受け継ぐことに頓挫した私は、
「いつか子供ができて、大きくなったら譲れるような、時を越えて普遍的に受け継げる美しさをもった時計が欲しい」
と、自ら渡すバトンになってくれるような時計を探し始めた。
…と、今までは何となく、そう思っていた。
でも、正確にいうと違うかもしれないな、とこれを書きながら思い直した。
というのも、私の手に入れた時計、好きになってきた時計は、もちろん多種あるものの、ン十年の間、その中心はずっと変わらず、ものの見事にカルティエとロレックスばっかりだ、と気づいたのだ。
そうすると、もしかしたら私は、恥ずかしながら、ずっと昔に憧れた友人たちの影を、今でもずっと追いかけているだけなのかもしれない。
でも、たとえそうだったとしても、今、紆余曲折を経て選び選ばれ手元にやって来てくれた時計たちは、彼女たちのものと同じじゃない。
もっと言えば、自分の過ごした時間自体も、当たり前だけど、彼女たちと一緒ではない。
きっかけは他人のコピーだったとしても、自分らしさに少し胸を張って、一緒に時を刻んでいけたらいいのかな。
…寒い中、パソコンに向かいながら、柄にもなく、そんなことを思った。
意外に、自分の嗜好を突き詰めていくと、いろんなことが見えてくると実感…
ジュエリー熱の芽生え
物心ついた時から、キラキラしたものやジュエリー・アクセサリーの類は大好きだった。
ジュエリーに関する原体験として記憶しているのは、毎年お盆に帰省した時、母方祖母(服道楽で綺麗なものが大好きだった)のジュエリーボックスを開けては眼福に浸り、あわよくば手に入らないかと画策していたこと。
残念ながらその後、そのジュエリーボックスは、訳あって中身ごと全てなくなってしまったのだけれど、中央が引き出し式で、両側にメリーゴーランドのようにくるくる回るネックレス掛け金具がついたボックスの形と、その中に(子供時代の自分にとっては)とても立派で大きなアメジストの指輪が入っていたのが一際気に入って、毎度毎度眺めていたことは、今でもよく覚えている。
それだけジュエリーには興味があったのに、古着に目覚めてしばらくしてからは、その熱がジュエリーに向かうことはなかった。
折しも巷はLAカジュアルが大ブームで、ジュエリーというよりも大ぶりなフェイクのアクセサリーをつける方が流行っていたからかもしれない。
もう手元にはないが、当時大好きだったトコパシフィックというショップで、ステラマッカートニーのプラスチックのキーリングを買ったり、LAカジュアルの代名詞でもあるジューシークチュールのチャームブレスレットに心ときめかせたりしていた。(余談ではあるが、ジューシークチュールのチャームは立体的で本当に完成度が高く、開けるとちょっとしたギミックも入っていたりしてものすごく素敵!今でも安いと観賞用にちまちま買ってしまう…)
そんな自分が、「アクセサリー」から「ジュエリー」に目を開かされたきっかけも、自分にとっては印象深く、今でも覚えている。
たまたまふらっと入った、吉祥寺の駅からほど近い、地下にあった薄暗い古着屋。
入るとふわりとお香のような独特の香りが漂う、いかにも「古着の街の古着屋」然とした店内だったと思う。
ひととおり見て周り、ふと壁際にあったアクセサリーコーナーに目をやると、ゴールドのネックレスがあった。
知識のない自分でもわかる「AHKAH」「K18」の刻印に驚き、「3480円」という値札に目玉が飛び出そうになり、反射的に購入を決意。(でも当時、貧乏学生で手持ちがなかったので、店員さんには取置きをお願いして近所のコンビニに走ってお金を下ろした。3000円も持ってないんかい!という店員さんのやや冷たい目も覚えている…)
今のジュエリーよりもボリュームのあるしっかりとした角アズキチェーンに、ハートのキーモチーフがついたイエローゴールドのネックレスは、今よりもだいぶカジュアルだった当時の服にも負けず、インパクトがあって、しばらくの間(と言いつつ数年単位だったと思う)、本当にどこに行くにも身につけていた。
10年以上が経って、当時のものはほとんど処分してしまったけれど、このネックレスだけは思い出も込みで今でも大切にジュエリーボックスにしまってある。
このネックレスとの出会いで、
・小さいけれどもちゃんと存在感を放ってくれること、
・洋服よりも流行り廃りに影響されにくく、ある程度の長期スパンで愛用できること、
そして
・最終的に処分しなくてはならなくなっても、決して、ゴミにならないこと
というジュエリーの魅力を実感できたと思う。
そこから今まで、ジュエリーをほんの少しずつ集めて眺めるのが、長い長い、自分のライフワークになっている。
ヴィンテージ熱の芽生え
ヴィンテージ(とはいいつつ、実際はリサイクル系古着も大量に含む)の世界にハマったのは、学生時代。
当時は今以上にお金の使い方も下手で、お祝いにと家族からいただいたお金を毎日のようにちまちまと洋服につぎ込み短期間で溶かし、めちゃめちゃ怒られたりしていた。
ある日、その頃よく通っていた、ジーンズなどカジュアル系の洋服を扱うお店の一角に、申し訳程度の、「ヴィンテージコーナー」のようなものができていた。
当時は今ほどにヴィンテージ熱は盛り上がっておらず、むしろ古着は人の手に渡ったものとして嫌われる傾向があったように思うから、そのコーナーも、海外仕入れの時に思いつきでちょっと面白そうなものを買い付けてきて集めました、程度のものだったけれど、自分にとってはなんとも新鮮に見えた。
そしてその中に、イヴサンローランの靴があった。
「ド」がつくほどの潔い赤に、フェラガモのヴァラに付いているような、でもそれよりも大きな布地のリボンが付いた、3cmぐらいの太ヒールパンプス。
値段は確か1900円ぐらいだったと思う。
やたらと気に入って、なけなしのお金を叩いて即決した。
そうしたら。
これがまた、会う人会う人に、
褒められた。
とはいっても、学校の狭い範囲内だったから大したものではない。
でも、しばらく話もしていなかったような同級生から、靴が素敵だと声をかけてもらったこともあった。
今にして思えば悪目立ちしていた可能性も否めないけど(むしろそうだったんじゃないかと思うけど)、当時の自分にとって、ファッションを肯定してもらったり、自分で選んで身につけているものが会話の糸口になったりするという体験は、本当に新鮮だった。
多分、あれが強烈な成功体験として自分に刻み込まれたのだと思う。
そしてちょうど、学生時代は、東京で古着の街といわれる下北沢や吉祥寺にも行きやすい場所に生活圏があった。
そんな街にも通い詰め、なけなしのお金をはたき、家族に大目玉を食らったりしながら、どんどん古着に手を出していく。
ただ、当時は今よりもっとカジュアルな、ビビッドカラーのものが好きだったので、そんなものたちは長くは着られず。
当時買ったものはもう今ほとんど手元にないのは残念だけれど、それでもあの時、暇さえあれば服を見に行っていたのは、悪い経験ではなかったなぁと思ったりもする。
そんな思いを胸に、今日も、
あの日出会ったような、
運命の一点、運命の一着を探しに、
隙間時間を見つけては古着の海を彷徨っている。