「M」:Must Tank Vintage Watch
ここン十年の自分のクローゼットを思い返してみると、ジュエリーは増えていく一方だったのに対し、服は減っていく一方だったことに気づく。
そして時計は、一度とても増えた時期を経て、かなり断捨離され、今は厳選されたメンバーだけが残っている感じ。
それは、憧れや好みだけで手を出していたら、維持に限界がきて、自分が大事にできる時計の数は限られている、とわかったからだと思う。
なんてったって、機械式の時計は、
ものすごく、
お金がかかるから。
最初の頃はそんなこと全く気付かず、クォーツの時計を買うのと同じ程度の軽い気持ちで、機械式時計の予算も組んでいた。
買った後にかかるのは、数年に一度の電池交換代と、悪くしてもちょっと壊れた時の修理費用ぐらいだろう、という程度の認識。
ただ、一回手を出すといろいろと蘊蓄を調べずにはいられないタイプのため、それでいいのかとネット情報を漁っていたところ、出るわ出るわ、お金のかかる話ばかり。
オーバーホール?
ゼンマイ切れ?
摩耗による部品の交換?
聞いたことのないワードたちに頭は混乱の一方。
そして、とりあえずそれならオーバーホールをしてくれそうなところに持ち込んでみよう…とアンティーク時計専門の工房の門を叩いてみたところ、あれよあれよという間に修理費用で時計購入金額の半分程度が吹っ飛んでしまった。
さらにこれが一度ではなく、数年に一度は必要になるという。
欲しいものに目がくらむと計算能力がさらにポンコツ化する自分でも、さすがに、
あ、これは金のかかる趣味だな、
と気づいてしまったのだ。
そんなこんなを経て、機械式の時計欲しい欲が湧いてきた時は、
「今後数十年を経ても、最大何十万のオーバーホール代をかけても、ずっと手元で愛でていたいといえるかどうか」
と呪文のように唱え、自分なりにかなり吟味するようになった。
この言葉のおかげで、もうあと一歩でお店の人に買います宣言する(あるいは購入ボタンをポチる)ところで諦めた時計たちもたくさんいるので、自分にとってはかなり強力なストッパーになったと思っている。(別に胸を張れることじゃないけど…)
前置きが長くなったけれど、
そんな遍歴を経て、今もこれからも手元で大切にする、なんなら(できれば)孫子の代にだって継いでいけたらいい…などと思える時計が
カルティエのマストタンク。
手巻き。
社会人になって初めてのボーナスで手にした、憧れのヴィンテージウォッチ。
言わずと知れた、1970年代後半発表の「廉価版タンク」。
王侯貴族のためのジュエラーだったカルティエ が一般層をターゲットに発売した時計。
素材も18金ではなく金張り(ヴェルメイユ)だし、ブレスも基本金属ではなくレザー。
その意味で、本来は、カルティエの王道のジュエリーウォッチのように、受け継ぐ、というレベルのハイクラスなものではないのだろうと思う。
でも、そんなことどうでも良いと思わせる、この文句なしの美しさ。
そして、懐の広さ。
20代、30代の腕にもしっくりハマり、50代、60代になってもそれが衰えることはない(使うシーンはビジネスライクからカジュアルへと変わっていくかもしれないけど、決して、安っぽくてもう似合わない…とはならない)。
そして最後に、(できるかわからないけど)若い孫が、ヴェルメイユの部分が変色しちゃったりして、味の出たこの時計を身につけていたら、それはそれは、格好いいだろうと思う。
大学の時の記憶にある彼女のように。
特にこのローマンインデックスのベーシックな文字盤には永遠のシックさがあるから、余計そう感じられるのかもしれない。
そしてもう一つ、この時計を大事にする理由。
それが、
国際永久保証書。
ここでようやく最初の話と繋がるが(長いな)、このマストタンク、機械式時計の宿命であるオーバーホール代が、(今のところは)永久に無料となる特典がついている。
この保証と、カルティエのサービス精神の素晴らしさについてはまた別記事で書こうと思っているけれど、とにかくカルティエに脱帽させられる特典だ。
このギャランティのおかげで、自分で大事にし、何十年と使い、なんなら受け継ぐ、ということも、決して夢物語ではないと思えるのだ。
とあるエディターの方が、著書で、
社会人になって最初に買って、15年間愛用しつづけている時計
としてマストタンクを紹介していたが、それもうなずける。
長年を共にしていくアイテムとして、若いうちに手にして、きっと損はしないと思う。